2006.07 「ふたりたび」

 

 

電車の窓から見える景色は、どんより曇ったり時折気持ちよく晴れたりと、ころころ変わる赤ん坊の表情のように僕らを飽きささないで楽しませてくれていた。
数日前、突然墓参りに行くと言い出したじいちゃんを誰も止めることはできず、今こうして僕らは先祖の墓がある静岡県の清水に朝早くの電車で向かっている。今年で92歳にもなる僕のじいちゃんは、一度言い出すと誰の言うことも聞かない周りも呆れるくらいの偏屈じいちゃんである。
もう年齢も年齢なのでひとりでは心配だということもあったけど、それよりも二人きりで遠出できるのが楽しみで付き添い役をかってでた。
僕は小さい頃からおじいちゃん子でよくなついていた。無条件の愛情をあたえてくれたおかげでこっちも何の疑いや不安ももたずに気持ちをぶつけることができた。そんな幼少時代のおかげで今でも僕らは、なんとなく心が通じ合える仲でいる。
じいちゃんは時折窓の外を見ながらたくさんの話を聞かせてくれた。清水で生まれ育ったことや、戦争で満州に行ったこと、僕の母親が幼かった時のこと,,,。そのいくつかは前にも聞かされた話だったが退屈ではなかった。こうやって電車にゆられて流れる景色の中聞くと、前とは違った色や温度で僕に届いた。
そして話終えると小さなカバンにしまってあったメモ用紙を広げた。そこには今日一日の予定がこと細かく書かれていた。何時何分の電車に乗ること、切符の値段、帰りの予定時間、実家の電話番号と住所、実家の姉にいくらお金を渡すこと、時間があれば僕を景色のよい三保の松原に連れていってあげること。最近物忘れのひどくなってきているのを気にして、その一つ一つを何度も確認している。
そして満足げにうなずきメモをしまい、少し眠ると言って目を閉じた。

それらを見ていて僕の胸には何とも言えない感情が沸き上がってきた。決して悲しい部類の感情ではなくもう少し柔らかいものだと思う、じわっとしみてくる感じだ。
電車は新富士を過ぎ、あと少しで清水に着く。
この先じいちゃんと二人きりで旅をすることなどもうないだろう。だから今日一日を楽しみ、そこに起こった出来事をなるべく忘れないようにしようと思った。